大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和24年(レ)112号 判決

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対して別紙目録<省略>記載の家屋を明渡し、且つ昭和二十二年十二月一日より昭和二十三年十一月十日まで一ケ月金八十二円五十銭、同年十一月十一日より昭和二十四年五月三十一日まで一ケ月金二百六円二十五銭、同年六月一日より右家屋明渡済に至るまで一ケ月金三百三十円の各割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。」との判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、「控訴人は別紙目録記載の家屋を所有するものであるが、被控訴人は控訴人に対抗し得る何等の権原がないのにかかわらず右家屋を占有しているので、その明渡及び被控訴人占有後の昭和二十二年十二月一日より昭和二十三年十一月十日まで一ケ月金八十二円五十銭、同年十一月十一日より昭和二十四年五月三十一日まで一ケ月金二百六円二十五銭、同年六月一日より明渡済に至るまで一ケ月金三百三十円の各割合によりいずれも統制賃料相当額の損害金の支払を求める。」と陳述し、「被控訴人の主張に対し控訴人と訴外木村健太郎との間にその主張の如き賃貸借が存在したことは争わないが、控訴人が本件家屋を訴外木村に賃貸するに至つた事情は元々本件家屋は右木村の所有であつたが、同人は本件家屋が自己の営業である漬物商を営むに適しないので今里方面の商店街に移転するため右家屋を売却して新円を獲得し(当時預金封鎖中)之を資金として営業したい意思があることを訴外池田重夫に洩らし、訴外池田から控訴人の父富雄にその話があつたので、当時富雄は控訴人肩書地で畳床製造業を営み大阪方面に搬出販売する畳の置場がなく訴外池田の宅を借りて積込んでいたので、右富雄は未成年の控訴人に代り昭和二十一年九月十四日木村より右家屋を買受けたのであるけれども、木村は即座に移転すべき店舗が得られなかつたので店舗を得次第転宅するからそれまで本件家屋を賃貸してくれと申込んできたので、右条件の下に賃料も格安にし一ケ月金三十三円として同人に賃貸したものであるところ、訴外木村は昭和二十二年八月十六日家族と共に島根県浜田市に移転し町籍も同市に移してそこで漬物製造卸問屋を営み昭和二十三年度における同県下第一の漬物仕込をした程の営業をしている。よつて右賃貸借は訴外木村が浜田市に移転したことにより終了したものである。仮りにそうでないとしても右木村は前記移転に際し控訴人に無断で被控訴人に転貸したものであるから(被控訴人はその弟春茂夫婦とその子供及び弟秀一と共に居住しているものであつて、決して木村の留守番ではない)、控訴人は昭和二十二年十一月四日附、その頃右木村に到達した書面による解除の意思表示によつて右木村との賃貸借はおそくとも同月末には終了したものである。又控訴人が訴外池田重夫をして本件家屋を管理させていたことは認めるが訴外池田においても被控訴人が本件家屋に居住することを承諾したことはない。」と述べた。<立証省略>

被控訴代理人は主文第一項同旨の判決を求め答弁として、「控訴人主張事実中その主張の家屋が控訴人の所有であること及び被控訴人が右家屋に居住していることは認めるが、その余の事実は否認する。本件家屋は元々訴外木村健太郎の所有であつたが、昭和二十一年九月本件家屋を同棟の他の二戸と共に控訴人に売渡し、同年同月十五日同訴外人は控訴人より改めて賃料一ケ月金三十三円毎月末支払の約定で賃借したものであつて、被控訴人は同訴外人の一時不在中の留守居として同人の適法な賃借権の下に居住しているものであるから控訴人の請求は失当である。すなわち訴外木村は昭和二十二年八月その事業を塩干物にも拡張したいと思い、その産地である島根県浜田市に工場を設置するために同市に赴くことになり、その際同人の子供が腺病質であるので、その通学する学校の夏季休暇中であるのを幸に、同市に連れて行くこととなつたが、それについて被控訴人が右訴外人と幼少からの友人であつて、且つ復員後住宅がなかつたので留守を頼まれて本件家屋に居住するに至つたのである。右訴外人の妻子はその後間もなく帰阪する予定であつたが事業上の必要から右訴外人が同年十一月中旬まで同市に滞在することとなつたのと、その子供も健康上なお滞在を必要としたために、その妻も夫の身辺に在つて世話をすることとなつた。然るにその後同年十一月控訴人から本件家屋について仮処分の執行を受けたので、右訴外人はこれに復帰することができず、止むを得ず前記浜田市に滞在を続けているのであるが、同市では一定の住居なく転々している状態であり、所謂町籍のみは昭和二十二年九月食糧の配給を同市で受けるために同市に移したけれども、漬物組合その他の関係では依然本件家屋をその住所としているものである。以上述べた通り被控訴人は訴外木村健太郎の一時不在中の留守番として、その賃借権の下に適法に本件家屋に居住しているのであり、又その故に親及び妻子とも別居しているのであつて、これを訴外木村から転借したのでもなければその賃借権を譲受けたのでもないのみならず、その居住についてはその当初の頃原告に代つて本件家屋を管理する訴外池田重夫の承諾をも得ているのであり、又控訴人は真実本件家屋を使用する必要がある訳でもないのにその明渡を求めるもので、控訴人の本訴請求は信義則に反し権利の濫用であるから失当である。」と陳述した。<立証省略>

当裁判所は職権を以て被控訴本人の再訊問を為した。

三、理  由

別紙目録記載の家屋が控訴人の所有であり、控訴人はこれを昭和二十一年九月十五日訴外木村健太郎に対し、賃料一ケ月金三十三円の約定で賃貸したこと及び被控訴人が右家屋に居住していることはいずれも当事者間に争がない。

そして被控訴人は被控訴人の右居住は右木村の賃借権下においてその留守番としてのものであると主張し、控訴人は右木村との賃貸借は既に終了していると主張するので、この点について考えてみるのであるが、先ず控訴人は右木村に対する賃貸借契約は同人が昭和二十二年八月十五日家族と共に島根県浜田市に転居したことにより、当然終了したと主張するのでこの点について判断する。原審証人池田重夫(一部)、原審及び当審証人木村健太郎の各証言並びに原審及び当審における控訴人法定代理人松田富雄本人訊問の結果(一部)を綜合すると、訴外木村は従前より本件家屋を所有していたが、終戦後昭和二十一年五月復員したときには従前同人が居住していた家屋は戦災により焼失し、同人家族は本件家屋に居住していたのでここに復員居住するようになつたところ、同人は従前より大阪で漬物業を営んでおり、営業継続の資金を得るため、又病人治療に要した借金返済のため本件家屋を含む三戸建一棟を控訴人に売却するに至つたものであり、一方控訴人の父は控訴人肩書地で畳床製造業を営み大阪方面に搬出販売する畳の置場に不便を感じ空家を求めていたところへ、偶々訴外池田重夫から訴外木村に本件家屋売却の意図があることを聞いて本件家屋を買受けたもので、当初訴外木村は商売の利くところへ移転する意思であつたが、即時移転することは困難であつたので、控訴人においても結局訴外木村の商売の目鼻のつくまで本件家屋に居住することを諒解し、両者間に右家屋の賃貸借が成立したものであることを認めることができるのであつて、木村が本件家屋を住居としていた右事実関係の下では右のような諒解のある賃貸借とは結局木村において他に居住及び営業の本拠ができた場合には本件家屋を明渡すとの特約のついた賃貸借であり、そして又右特約においても確定した賃貸借の期間が定められている訳ではないのであるから、この意味では期間の定めのない賃貸借と解すべきものであろう。

そして控訴人主張の殊更短期間内に店舗をみつけて早急に明渡す条件の下に為した契約であるという事実については控訴人法定代理人松田富雄本人の原審及び当審供述中に一部これに副う趣旨の供述とみられる部分がないでもないが、右供述自体前後必ずしも一致しておらず、右控訴人の主張に副う部分は証人木村健太郎の原審及び当審証言並びに本件口頭弁論の全趣旨に照し信用し難いところであり、その他右事実を認めるに足る証拠はないのであるから、後に認定する如く訴外木村が他に居住及び営業の本拠を得て転居した事実が認められない以上控訴人の右主張は到底これを採用することはできない。

次に控訴人は前記賃貸借は訴外木村が無断で被控訴人を居住させたから転貸を理由に解除の意思表示をなし、契約は既に解除されたものであると主張し、被控訴人は賃借人である訴外木村の留守中、その留守番として居住するものであると抗争するので以下この点について判断する。成立に争のない甲第三乃至第七号証、乙第三号証の一、二、第四乃至第六号証、原審及び当審における証人木村健太郎の証言及び被控訴人船田智男本人訊問の結果(当審においては第一、二回共)並びに検証の結果を綜合すると、本件家屋の賃借人たる訴外木村は本件家屋に居住して塩干物商等をしていたが浜田市にその工場もあつて月に二、三回も行つており、同地には知人和崎武雄もいて同人と共同で海産物の加工や漬物の製造をし、その製品を大阪に送つて売捌こうということになり、その製造の目鼻のつくまで暫く同地に行くこととなり、偶々当時長女が病弱であつたため夏休みを利用して空気もよく食糧事情もよい浜田市へ家族全部を同伴してゆくこととし、昭和二十二年八月十五日同市に赴いたもので、その一時不在の間被控訴人に留守番を依頼し被控訴人は右依頼に基いて同月十六日頃から本件家屋に居住しているものであり、訴外木村が被控訴人を居住させたのは被控訴人の妻が右木村の妻と友人であるために木村とも親交があり、北鮮から引揚げてきて市内猪飼野の友人坂井某方に弟邦弘と間借りをし、他の弟春茂一家族は平野で間借りをするというように住居に困難していたので被控訴人に留守番を依頼するようになつたもので、信頼のおけない者を居住させては訴外木村等が帰阪したときに容易に明渡してくれなくては居住に困るからとの配慮の下に控訴人等を居住させたものであること、また被控訴人も前記事情の通りであるから訴外木村の諒解を得て弟春茂夫婦及び子供一人(その後出生により二人)並びに前記邦弘と共に本件家屋に居住し、従つて訴外木村が帰阪したからといつて直ちに明渡すことはできないので、転居先ができるまではひとまず本件家屋の二階に居住させて貰うことになつており、当時被控訴人の妻子等は四国に居住していて、被控訴人としては港区方面で家を建てる計画をしていたものであり、この計画は資金関係から駄目になつたが、その後本訴中の昭和二十四年十月には弟の所持金等で同じ港区に建てた家に母及び妻子を呼寄せ同人等は現在同所に居住しているものであること、木村は昭和二十二年八月二十六日世帯全員の町籍(配給籍)を浜田市に移し同年九月には長女の学籍を浜田市に移し、その後同市において漬物製造業を営み税務署より昭和二十三年度は金七万二千円、同二十四年度は金十万円の各所得の認定を受ける程度の営業をしているものであるが、家財道具中身の廻り品以外の物であるタンス、衣桁、鏡台、火鉢、食卓、神棚、子供机、下駄箱、盥、花瓶、軸物等は依然として本件家屋内に残置し、被控訴人がこれを保管していること、本件家屋に掲げられた主たる表札も木村名義のものであり被控訴人名義のものは小さく表示されていること、木村は浜田市に赴いたけれども所定の住居を有しなかつた為め、最初友人の和崎武雄方(同市京町二班)に、同年九月初旬には長見某方(同市紺屋町)に間借りし、その後波多野伊三郎方(同市偏庭町)、同市高田町所在工場附属建物等を転々して現在同市上黒川に一戸を構えて居住しているのであるが、最初の予定は子供の休暇が終れば妻子だけでも先に大阪へ帰し、木村自身は年内中位は留まる意思であつたが子供の健康その他の都合上延引しているうち同年十一月十七日控訴人より被控訴人に対し本件家屋につき占有移転禁止の仮処分の執行を受けるに至り、ここにおいて右木村も本件家屋に復帰することができなくなつたものであることを各認定することができ、原審証人山本博査、同証人池田重夫、当審証人池田タカ子の各証言、並びに原審及び当審における控訴人法定代理人松田富雄本人訊問の結果中、それぞれ右認定に副わない部分はこれを採用せず、その他右認定を覆すに足る証拠は存しない。

以上認定事実に徴すれば、訴外木村健太郎はなるほど昭和二十二年八月十五日一家を挙げて浜田市に移転したには相違ないのであるが、右移転は単に一時的のものであり(配給籍移転の事実も当時の食糧事情からみればこれを永続転住の資料と認めることはできない)当初の予定では家族は学校の夏休みが終れば本件家屋に復帰させるつもりであり、木村自身も遅くも同年中には大阪に帰る予定にしていたものであつて、従つて浜田市における住居も後には一戸を構えるには至つたが、当初は転々間借の状態であり、右一戸を構えるに至つたのも本訴等の関係で大阪への復帰が遅れた為その事態に応じたに過ぎないものと解すべきであるから、右木村の浜田移転を以て同人が同所にその居住及び営業の本拠を得てこれを同所に移転したものと解することはできないのであり、又被控訴人の本件家屋への居住も控訴人主張のように、単に留守番を装いその実は賃借権の譲渡又は転貸を受けてこれに居住するに至つたものと解することはできないのであつて、被控訴人の右居住は真実木村の不在中を守るものであり、広い意味ではこれを木村の留守番としてのものであると認めて差支えのないものであろう。しかし本件被控訴人の右居住は単に木村の不在中を守るというに止まるものではなく、被控訴人自身及びその弟等居住の家を得んとしてのものであるから、これを単純な留守番とのみ見ることはできないのであつて、木村の為の留守番としての居住に自己の居住をも兼ねたものと見るのが相当であり、従つてこの意味においては木村より被控訴人に対する転貸が行われたものと見るのを相当としよう。そして民法はその第六百十二条において賃貸人の承諾なき賃借権の譲渡及び転貸を禁じ、その違背の場合には賃貸人は賃貸借の解除を為し得る旨規定しているのであり、控訴人が右木村に対し同人が被控訴人に本件家屋の使用を許したことを理由として昭和二十二年十一月四日附内容証明郵便を以て右賃貸借契約解除の意思表示を発したことは成立に争のない甲第二号証によりこれを認め得るのであり、又同郵便物が遅くとも同月十五日までには右木村に到達したことは成立に争のない乙第七号証によりこれを認めるに足るのである。そして、被控訴人は被控訴人の右居住については控訴人の管理人である訴外池田重夫の承諾を得た旨主張し、原審証人池田重夫、当審証人池田タカ子、原審及び当審証人木村健太郎の各証言並びに原審及び当審における被控訴人の供述(当審第一回)によれば、木村は浜田市への出発直前被控訴人と共に右池田重夫の妻池田タカ子に会い、木村の不在中被控訴人を留守番とすることの了解を求め、その際は池田タカ子及び池田重夫亦敢てこれに異議を述べなかつた事実はこれを認めるに足るのであるが、右池田等の了解は被控訴人を木村の単純な留守番と解してのものであり、被控訴人が前認定のような留守番を兼ねての居住をすることを前提としてのものでないこと、右各証言及び供述自体から明かなところであり、被控訴人の右認定のような居住について池田重夫がこれを承諾したとの事実については何等これを認めるに足る証拠はない。従つて本件事実関係においては一応控訴人と木村間の本件家屋の賃貸借は控訴人の右解除の意思表示により消滅に帰したかの感があるのであるが、しかし右民法の規定による賃貸人の賃貸借解除権も信義則に反してこれを行使することは許されないのであり、これに反して行使せられた解除権はその効力を生ずるに由なきものと解しなければならぬ。今これを本件について考えて見るのに、木村の浜田移転は真実一時的のものであり(本訴の繋属及び仮処分の為その浜田居住は相当長期のものとなつてはいるが、これは木村の予定の外のことであり、またこの為その後同人が同市において相当の営業をしているとしても、これも事後の事情に応じたものと認むべきであり、仮処分に異議の申立をしなかつたからといつてこれを以て右木村の浜田移転を一時的のものとする前示認定を覆すことはできない。)被控訴人の本件家屋への転入亦真実木村の留守番たらんとしてのものであつて(被控訴人がその弟妻子等と共に本件家屋に居住したことは聊か留守番の域を脱したるかの感がないでもないが、当時の住宅事情から考えこれもそう深く咎むべきものでもないであろう。)木村の当初の予定は変更せられたにもせよ、遅くとも数ケ月の内には本件家屋に復帰する予定であり、被控訴人亦木村の復帰に具え移転先についても真面目にこれを考慮し、誠意を以て留守番の任に当つていたものであつて、当時の住宅事情から見れば、法律的にはこれを転貸と認めるとしても、これを捉えて僅々三ケ月にも満たずして賃貸借を解除することは如何にも酷であるの感を免れないのであつて、右賃貸借の解除は信義則に反し無効のものと解しなければならない。

以上の次第であるから控訴人と木村健太郎間の本件家屋の賃貸借は未だ終了せず、従つて右木村の賃借権の下における被控訴人の本件家屋に対する占有も適法であるから、控訴人の控訴は結局理由がないことになる。よつて控訴人の控訴はその余の点を判断するまでもなく、全部理由がないから本件控訴は民事訴訟法第三百八十四条によりこれを棄却すべきものとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法第九十五条、第八十九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 山下朝一 相賀照之 山本一郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!